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ありがとうの声

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献血という「命のリレー」が途切れないことを祈って

昨年秋田県で行われた「第53回献血運動推進大会」で体験発表をしてくださった、加藤靖幸さん(44歳)の原稿です。


 私は昭和49年6月、秋田市で生まれました。小さい頃から野球が大好きで中学2年まで一生懸命頑張っていました。昭和63年1月、14歳の冬でした。野球部の練習中に貧血で倒れ、病名は「再生不良性貧血」でした。病気になってからは、運動も制限され、貧血症状と内出血が日常的におこるため、大好きな野球をやめざるをえず、目標を見失ったこともありました。
 輸血のきっかけは、ヘモグロビンの数値が下がってきたとき、「心臓へ負担がかかるので、ヘモグロビンの値が6gを切ったら、輸血をしましょう。」と前々から主治医との約束でした。初めての輸血では、他人の血液が自分の体に入ってくることがとても怖かったことを覚えています。しかし、輸血を繰り返すにつれて、怖さはなくなり、次第にたくさんの方から命をもらって生きていられるという感謝の気持ちに変わりました。輸血の回数は「1140回」に達しました。この会場の皆様全員から1回ずつ血液という命を分けてもらった感じです。
 私は輸血の回数が多かったため、血小板に対する抗体ができてしまい、HLAと呼ばれる自分に適合する特別な血小板が必要でした。私のために献血の予定を組み、大変な思いをしてくれた方々の血液が、私の中に流れていると考えると「ありがとう」の気持ちでいっぱいでした。
 治療を続けていくなかで、主治医から骨髄移植という命がけの治療があること、この治療で死ぬかもしれないというリスクの説明を受けました。すごく悩みました。このままでは死んでしまう、前に進むしかない!
 何度も、何度も、主治医と相談した結果、平成24年7月31日、東京の虎の門病院で骨髄バンクドナーからの骨髄移植を最高のタイミングで受けることができました。血液型がB型からA型に変わり、「7月31日」は私の二つ目の誕生日となりました。
 治療に専念することで会社も退職し、同じ頃、妻も大病を患いました。妻のことも、4歳と2歳の子供たちの将来も、全てが心配でした。落ち込んだ私たち夫婦を、子供たちの笑顔と笑い声が救ってくれました。子供達の無邪気な笑顔があったからこそ、夫婦で病気を乗り越えられたと思います。
 当時4歳の子供が4月に高校に入学、2歳の子供は中学校へ、今は二人が元気に学校へ通っている姿を見ることができ、とても幸せです。家族がいたからこそ、病気に対して前向きに頑張れた自分がいると思います。
 献血に携わっている皆様の思いは、患者さんへ確実に届いています。私は、輸血を受けたことで、献血で恩返しをしたくてもかなわず、歯がゆさと悔しい気持ちでいっぱいです。「献血」を一言で表すなら「命のリレー」だと思います。これからも献血の大切さを一人でも多くの人に話すことで、献血に関心を持っていただけたらと思います。
 私の輸血の体験をお話しすることで、献血者の皆様への感謝の思いと、献血運動が今以上のひろがりとなることを願うとともに、献血という「命のリレー」が途切れないことを、祈っております。

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