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全国のありがとうの声

多くの方々のおかげで今の私は生きている

青砥安彦さん

福島県骨髄バンク推進連絡協議会 運営委員長
青砥 安彦さん

【6度の入院、闘病生活413日】

96年5月、私は白血病を発症した。
それまで健康には自信があった。献血も年2回はしていた。しかし、この年の冬から体調に異変が。当時は、連日連夜残業続きで心身に大きなストレスが溜まっていた。発症時、微熱があり、顎下のリンパ線が腫れていた。病院に行きたかったが、忙しいので我慢した。高熱が何日も続き、仕方なく近くの病院へ。診察を受けると医者から「詳しく調べないと分からないから」と紹介状を渡され血液内科へ。
担当医から問診や触診を受け採血。そして血液検査の結果を見るなり、「すぐ入院して」とひと言。職場には「一日休むから」と。家族には「病院に行ってくるから」と言って来ただけなので、一度自宅に戻り、出直したいと医師に話すと、「すぐ治療を始めないとたいへんことになるから」と即無菌室に案内された。
それからが長い闘病生活の始まり。1回目の入院は抗がん剤による「化学療法」。一命を取り止め退院する直前、病名の告知を受ける。「急性骨髄性白血病」。耳にした瞬間、頭の中は真っ白になり死を覚悟。あまりにも短い人生に「なぜ俺が」と涙がこぼれた。
その後も入退院を繰り返し、2回目は「痔瘻の手術」。3回目は「骨髄移植」。骨髄バンクを通してドナーが見つかり、骨髄移植を受けることができた。4回目と5回目は「帯状疱疹治療」。6回目は「間質性肺炎治療」。これらの治療に要した日数は計413日。
この間に受けた輸血の回数は数えきれない。一日に何本も血液バッグが取り替えられ、そのたびに献血のありがたさを実感した。骨髄を提供してくださったドナーの方、血液を提供してくださった多くの献血者の方々のおかげで、今の私は生きている。感謝の気持ちで一杯である。

【輸血が必要になることは誰にでも起こりうる】

輸血を必要とするケガや病気は数多くある。新鮮な血液は常に必要であり、献血は決して欠かすことのできない社会貢献である。私も病気前は度々献血をしていた。今は残念だが出来なくなった。
血液は人工的に造れない。長期保存も出来ない。だからこそ献血が必要なのである。今、あなたが健康ならば、ぜひ献血にご協力をお願いしたい。輸血が必要になることは誰にでも起こりうるのだから。

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