MENU

全国のありがとうの声

輸血のおかげで母親になれた妻の話

匿名希望

下関市立市民病院 ※匿名希望

【妻の出産、そして緊急手術】

3年前に第1子が産まれました。私の妻は出産の直後、胎盤がいつまでも出てこず、出血ばかりが続きました。次第に顔色も悪くなり、意識レベルとモニター上の血圧が低下し続けたため、急いで病棟看護師を呼びました。すぐに婦人科医師も数人来られて対応されましたが、妻の出血は止まらず、血圧も上がりませんでした。
妻は出血性ショックの状態であることは明らかでした。婦人科医師が病室前で待機していた私に状況を説明され、「今から緊急で放射線科医師によるカテーテル治療で止血を行うことになりました。」と。
私は両腕から点滴をされて意識が滕朧としている妻と一緒に血管造影室まで行き、部屋の前で治療の成功を祈りました。
1~2時間程で放射線科の医師が廊下にいる私に「止血は成功しました。しかし、もし出血が続くなら、手術になります。」と説明してくれました。
その後病棟に戻り、妻に輸血が始まりました。次第に落ち着いていく妻の容態。妻も出産後に初めて自分の娘と会う事が出来、泣きながら笑顔になっていました。その姿を見た私もほっと安心する事が出来ました。

【再び出血、手術へ】

しかし、次の日の早朝、病院から電話があり、「出血が止まっていない。輸血と点滴で繋いでいる。すぐに子宮全摘出の為の承諾書を記入して欲しい。」との事。
私はすぐに病院に向かい、医師から手術の説明を受け承諾書にサインしました。その間も妻は輸血を続けており、遠くから「日赤にも連絡して-」と声が聞こえてきました。
(日赤に連絡って。ああ、輸血が足りていないんだな。)病室で妻の傍に居ながらそんな事を考えていました。
病棟がしばらくバタバタした後、すぐに妻の手術が始まりました。私も、妻の両親も、おそらくは同じ病院で眠っている娘も妻の手術の成功を祈って。
妻の手術は無事に成功し、手術室から出てきた妻は意識が混濁していましたが、数時間後には状況を理解した上で、娘と一緒に笑顔でベッドに寝ていました。術後も貧血が強く、しばらく輸血を続けていました。
貧血が改善し、輸血が終了した頃、妻の顔色は驚くほど良くなり、病棟を自由にあるけるほどでした。

【たくさんの輸血で命が救われました】

手術からしばらくして聞いた事ですが、出産後から手術までは土日だった事もあり、病院内の輸血用血液製剤の在庫が少なく、妻への輸血で院内の在庫を使い切っていたそうです。
私は普段の業務において採血や輸血、自己血採血などを行う際には当たり前の業務として取り組んでいました。業務に慣れてからは特に深く考えることもなく、ただ淡々と。そうではない。血液というものがどれほど人にとって必要なものなのか今回の妻の件でとても重く、私の心に響きました。

今回、妻の輸血に関わって頂いた病院スタッフ、日赤スタッフ、そして過去に献血に参加して血液を提供して頂いていた名も知らぬ方々、全ての関係者へ。あの時、輸血がなければ妻の治療は出来ずに、妻は母となれなかったでしょう。
私も夫として、そして父として、妻の命が救われた事に感謝します。

過去の投稿

最新の投稿

カテゴリ一覧

  • ありがとうの手紙 From 献血で救われたいのち
  • TSS献血キャンペーン「ありがとう!っていっぱい言わせて」