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全国の献血に協力した人の声

私の献血 高鍋高校JRC(青少年赤十字)部とともに

渡辺幸一さん

渡辺幸一さん

【にこやかに献血に興じる】

私の献血の始まりは、やはり高校時代に来た献血バスでの献血だ。それ以降、取り立てて義務感や正義感もなく何となく献血を続け献血55回で止まっていた。

それが再度、献血を行うきっかけとなったのが、赴任した高鍋高校のJRC部の顧問となったことだ。しかも赴任1年目はバレーボール部の顧問で、久々のバレー部顧問で張り切りすぎたのか網膜剥離を起こしてしまい、剥離の状況から片目が見えにくくなり体育系から文科系の部活に変えてくれと校長に直談判しての顧問就任だった。同じ年齢の校長から「ん~、JRC部でどうだ。」と言われ、「JRC?何ですか、それは?」と思わず聞き返した。「赤十字だ」と答えられ、即刻承知した。赤十字と言えば世界の紛争や救助で活躍し、世界で最も信頼される組織だし、日本史を教えていた私にとって何よりもまず、佐賀藩・佐野常民の博愛社を思い浮かべての即答だった。

部活に行ってみると、活動は週1回その日に集まり今日は何をするか決めるような状態にあった。そこで、赤十字の部活なら赤十字らしく、赤十字の精神や活動に沿った計画に則って活動しようと思い、独学で赤十字を学びながら、日本赤十字社宮崎県支部や宮崎県赤十字血液センターに連絡を取って高鍋高校に来校していただいて活動を再編した。その後は血液センターの職員とともに献血活動を中心にJRC部の活動計画を作成し、学期1回は献血ルーム(宮崎市)で献血並びに赤十字活動を、月1回は血液センターから来校していただいて赤十字講習(献血セミナー)をしていただいた。

JRC部の活動は徐々に広がりをみせ、高鍋町赤十字奉仕団や高鍋舞鶴ライオンズクラブなどと連携して献血バスでの「高鍋町総ぐるみ献血」や「高鍋町わくわく献血」などで受付・広報車での町内呼びかけ、冊子詰めなどの活動を行い、部員自らも献血を行ったりした。ある時は1日で70人も訪れるなど大いに貢献した。

学期1回の献血ルームでの活動は、部員が献血を行ったりするほか、献血者へのアンケートの実施や献血メッセージ記入のお願い、献血者プレゼント用の缶バッジの作製、受付周辺の消毒、献血ルーム前での呼びかけ・チラシ配布等を行った。 私も献血ルームでの活動の時には必ず献血(成分献血)を行い、55回で止まっていた献血回数も先日の活動の際に68回まで回数を伸ばし、人を少しでも救えたかなと思う。

これらの活動を評価していただき、JRC部に対して宮崎県赤十字血液センター所長感謝状をいただくことができた。

JRC部の活動はさらに広がりをみせ、高鍋町社会福祉協議会と連携して30ページに及ぶ防災冊子『サイボラ』の作成、社協職員による防災プログラムに基づいた活動を行い、献血と防災の活動を両輪に救護・平和・国際理解の5つをテーマにJRC部は気づき・考え・活動した。

令和4年度は、宮崎市で開催された九州八県赤十字大会においてJRC部長が大会宣言を行い、また、高鍋町の石井十次顕彰会なわのおび賞をJRC部長が代表して受賞した。

献血ルームに爽やかな生徒たちとともに訪れて献血を重ね、生徒たちの赤十字活動を見守りつつにこやかに献血に興じる。なんてステキな献血の在り方であっただろう・・・。

そして、今年3月に定年退職を迎えた。

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