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所長ごあいさつ

所長ごあいさつ(平成30年4月)

徳島県赤十字血液センター所長

 4月になりました。桜の季節です。職場には新しいメンバーが加わりました。大きな力になってくれると期待しています。
「さまざまの事おもひ出す桜かな」(芭蕉)

 今NHK大河ドラマ「西郷どん」が放送されています。観ている方も多いと思います。「幕末志士の死亡診断書」(監修 酒井シヅ)によれば、西郷隆盛は身長179cm、体重108kgの巨漢だったといいます。藩主島津斉彬に目をかけられていましたが、斉彬の死後に藩の実権を握った斉彬の異母弟久光とはうまくいかず、徳之島へ流刑となり、さらには遠方の沖永良部島に流されました。流刑先での生活は困難を極め、風土病であるフィラリアにも感染しました。この寄生虫はリンパ管やリンパ節を破壊し、リンパ液の流れを障害するためリンパ液が皮下に漏れ出て腫れる「リンパ浮腫」という状態を引き起こします。リンパ浮腫は下肢や陰部によく起こります。リンパ浮腫が長期間続くと皮膚が分厚くなり象の皮膚のような象皮病になります。隆盛の陰嚢は象皮病のため人の頭ほどもあり、晩年は陰嚢が邪魔で馬に乗れず駕篭を利用することが多かったと言われています。西南戦争で敗れて自刃し、首は従者が持ち去りましたが、政府軍は首のない死体が西郷のものと確認しました。大きな陰嚢が目印でした。

 西南戦争は1877年2月に始まりました。同年3月、1867年のパリ万博に参加し赤十字思想に触れた佐野常民は大給恒とともに、戦場での負傷者を救護する団体「博愛社」設立を明治政府に願いでましたが認められませんでした。しかし同年5月に官軍征討総督有栖川宮熾人親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)に設立を直接願い出て許可されました。救護活動の許可を受けた救護員は官・薩両軍の負傷者の救護にあたりました。当時、敵の負傷者まで助けるという考えが理解できなかった人々を驚かせ、人道という精神文化の基礎をわが国に植えつけました。1886年に日本政府がジュネーブ条約に加入したのを機に、1887年5月に「博愛社」を「日本赤十字社」に改称し、同年9月2日に赤十字国際委員会から国際赤十字の一員として正式に承認されました。翌年、日本赤十字社徳島県委員部(現日本赤十字社徳島県支部)が創立されています。

 赤十字活動は、「戦場の負傷者と病人を敵味方の区別なく救護する」ことから始まりました。現在日本赤十字社は、「苦しんでいる人を救いたい」という思いを結集し、「いかなる状況下でも、人間のいのちと健康、尊厳を守る」ことを使命としています。徳島県赤十字血液センターでは、病気で苦しみ、輸血が必要な人のために、安心、安全な血液製剤を24時間いつでも、どこへでもお届けすることを使命と考えています。県民の皆様のご理解、ご協力がなければこの使命を果たすことはできません。引き続き献血にご協力をお願いします。

平成30年4月
徳島県赤十字血液センター 所長 浦野 芳夫

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