今年も残すところあと1ヵ月となりました。異常気象、自然災害はもうたくさんです。普通の寒さ、雨・雪も普通、みんな普通であってほしいと思います。そして普通に新しい年を迎えたいものです。
小気味よき寒さとなりぬ年の暮れ(星野立子)
3ヵ月ほど前になりますが、高知県で学会があり参加しました。ノンフィクション作家、ジャーナリストでありテレビ番組のパネリストとしてもご活躍の門田隆将氏(高知県出身)による文化講演があり、有名人を見ようとミーハー気分で講演会場に足を運びました。「『南国土佐を後にして』誕生秘話は現代に何を語りかけるのか」という題目で、聴衆を引き付ける話ぶりはさすがだと感じました。内容も大変興味深いものでした。
「南国土佐を後にして」は、都会へ働きに出た若者が故郷を想う心情をペギー葉山が歌って大ヒットした曲です。高度成長期の1959年(昭和34年)のことです。この歌には元歌があり、高知県出身者で編成されていた旧日本陸軍第40師団歩兵第236連隊(通称鯨部隊)の兵士の間で「南国節」として日中戦争のさなかに歌われていました。作曲者・作詞者は不明で、自然発生的に出来上がったのではないかと考えられています。この歌を歌うことで家族、恋人へ募る思いを紛らわしていたのでしょう。
話は変わりますが、瀬戸内芸術祭秋の会期に合わせて、会場の一つとなっている大島に行ってきました。高松沖にある周囲7kmの小さな島で、ハンセン病の国立療養所大島青松園があります。高齢となったハンセン病元患者(全員治癒しています)が今もこの島で生活しています。ハンセン病患者は国の間違った政策によって隔離され、一旦療養所に入所すると再び故郷に帰ることは叶いませんでした。
島内に展示された作品は胸に迫るものばかりでした。中でも、ハンセン病元患者Nさんの苦難の人生を描いた「Nさんの人生・大島七十年」(作家・田島征三氏)には胸が締め付けられました。Nさんの悲しかった、辛かった、悔しかった出来事一つひとつが小さな部屋ごとに展示され、最後は無知ゆえに差別する側であった作者を含めた私たちの責任を問うものでした。その一つ「離郷」の部屋では、
すぐ治って帰れると思うちょった。
けんど母は
かみのけをふりみだし
どこまでもどこまでも
バスをおわえてきたのが
不思議だった。
Nさんは16歳で故郷を離れました。どれほど帰りたかったでしょう。どれほど家族に会いたかったでしょう。ここにも望郷の念にかられながらつらい生活を送らざるを得なかった人たちがいたのです。
今病院には、愛する家族のもとに帰るため必死に病気と闘っている患者さんが大勢います。一日でも早く、一人でも多くの患者さんが元気になりますように祈っています。
病気と闘うため輸血が必要になる患者さんもたくさんいます。例年冬は献血者が減少します。(今冬、これは普通でないことを願っています。)あなたの献血は患者さんに勇気を与えます。皆様のご協力をお願いいたします。
令和元年12月