
広陵町赤十字奉仕団
古田 ミキ さん
【血液型不適合妊娠で産まれた赤ちゃん】
昭和48年10月24日、私は3回目の出産をしました。陣痛が始まり40分ぐらいすると赤ちゃんの産声を聞き安堵しました。抱いて授乳を始めると体は黄疸が強く息苦しい様子、予期せぬ事態が起こりました。
暫くすると医師より「24時間以内に交換輸血が必要です」と話されました。見舞いに来てくれた姉が赤ちゃんを抱き、若い頃から献血を続けていた主人は、献血手帳を持って天理市の病院へと車を走らせました。
私は体の震えが止まらず泣いてばかりの日々が続きました。
二子の出産の時も同じ様な状況で、黄疸が強く赤ちゃんの体には何本もの管が繋がれ、治療に耐えている我が子の姿に、「助かって」と祈り続けましたが、わずか4日の命でこの世を旅立ちました。
この時、血液型不適合妊娠を知り、交換輸血していたら助かった命ではなかったかと時々思い出し悔やまれます。
一回の妊娠で母体に抗体ができるため、二回目以降の妊娠でRh式血液型不適合妊娠が起きると核横断など脳に合併症を起こすリスクも上がる事を知りました。現在は適切な検査と予防薬投与で管理できる症状であることも知りました。
入院している我が子が元気になって帰って来る日を祈り続け、いよいよ退院の日が決まり迎えに行った時、見違えるほど元気になっている娘を抱きしめて授乳すると、力強く吸って私の顔をじっと見ている姿に、助けて下さった多くの皆様に感謝の気持ちで涙が溢れました。
日々成長し3歳健診の時、「血液型不適合で交換輸血して助けて頂きました」とお話しすると、「健康に育っていらっしゃいますよ、本当に良かったですね」と笑顔で話されました。
【献血の呼びかけは娘を助けていただいた恩返し】
重い病気をする事もなく成長した娘は、幸せな結婚をし二人の子供を授かり、「人の役に立つ仕事がしたい」と長女は警察官、次女はこの春、大学に入って看護師と保健師の資格を取りたいと頑張っています。輸血で助けていただいた娘は52歳になり「私の天職」と言いながら、介護福祉士として老人施設で楽しく働いています。
私は赤十字奉仕団としてボランティア活動23年目、地域での出初式や防災訓練での炊き出し、赤十字活動資金の募集、独居老人への配食、義援金の募集活動等様々ですが、献血キャンペーンでの協力の呼びかけは、特別な思いで力が入っています。
寒い日も暑い日も献血車が来ると、街頭に立ち「あなたの愛の献血が誰かの命を助けます。ご協力お願いします。」と呼びかけながら、娘を助けて頂いた恩返しと思い活動を続けています。
ひとりでも多くの方が献血に協力して下さる事を願っています。

