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所長コラム

所長コラム(令和3年6月)

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半世紀の感謝

 6月下旬の木曜日、献血バスは岐阜市の血液センターを出発し国道を東に向かいました。途中、「日本ライン」とも呼称される木曽川の景観を右手に見ながら、流れを遡(さかのぼ)るように坂祝町に入り、目的地のパジェロ製造株式会社に到着しました。この日はパジェロ製造での最後の献血でした。

血液センターの古い資料をみると、昭和50年以前のパジェロ製造の前身である東洋工機の時代から、50年以上に渡り献血にご協力いただいてきました。現在当センターに勤務している最古参スタッフの入職は42年前の昭和54年ですが、それ以前からのご協力です。当時のことを知りたくてスタッフに聞いたところ、入職当時の献血は200ml、いわゆる牛乳瓶1本分の献血で、それも文字通り瓶に採られていたとのことでした。その数年後に瓶がパックに代わり、さらに昭和61年からは400ml献血が始まっています。

パジェロ製造での献血は、資料で数字が確認できた昭和51年以降のデータで、バス受け入れは57回にのぼり、献血いただいた皆様は延べ3500人です。このご協力にお礼すべく感謝状を持ってバスに同行しました。

さて、私は着任後1年が過ぎたところです。さらに、パジェロ製造を担当する当センターの若いスタッフは、この4月に愛知県センターから赴任したばかりです。これまでの実際の現場を知らない2人からの贈呈となりましたが、気持ちの上では、「半世紀に渡りご協力いただいた貴社の多くの皆様に対して、岐阜県赤十字血液センターの、初期から今に至るすべてのスタッフを代表して」の思いのもと、「深く感謝申し上げます」とお伝えし、社長の須江様に感謝状を受けていただきました。

ただし、勝手に代表したところもありますので、センターの先人たちが認めてくれるかは不安です。今後の働きで改めて判断いただくということでご容赦願います。

この日のパジェロ製造での献血を終えセンターに戻ったスタッフからは、多くのご協力がいただけたとの報告を受けました。このコラムにおいて、パジェロ製造株式会社の皆様には改めて深くお礼申し上げます。また、皆様のご健勝を心よりお祈り申し上げます。

さて、赤十字マークが付いた黒ポロシャツ姿で片付けをしているスタッフは早くも日焼けしています。夏至を過ぎましたが、これからが夏本番です。昨年は、7月は雨が続き飛騨地方では土砂災害がありました。8月は暑さの中、冷房していても直射日光と頻回の換気で涼しくならない献血バスで献血をいただく日が続きました。

今年はどんな夏になるのでしょうか?

この夏に向けて、岐阜県赤十字血液センターのスタッフ諸子には、センターの歴史を作った諸先輩に恥じないように夏を乗り切りましょうとメッセージを発信させていただきます。実は、このコラムをみているスタッフが結構いるらしいとの内部情報を得ましたので、現在一堂に集う機会がないため、ここに上げてみました。

最後になりますが、献血を直接的あるいは間接的にご支援いただく皆様には、良い夏でありますように、お元気でお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。

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写真は、パジェロ製造株式会社本館前に設置した献血バスと、感謝状を受けていただいた須江社長(と私)です。

  

岐阜県赤十字血液センター

所長 髙橋 健

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