新年度が始まりました。昨年度は皆さまのご協力により、輸血を必要とする患者さんに滞りなく輸血用血液をお届けすることができました。ありがとうございました。今後とも赤十字血液事業にご理解、ご協力をお願いいたします。
大きな希望と一抹の不安を胸に新しい世界へ進んだ新入生や新社会人の皆さん、無理をせず頑張ってください。この世にはやさしさが溢れていることを知っておいて下さい。
今回は少し長いですが感動的なやさしさを紹介したいと思います。
くも
空が青いから白をえらんだのです
この詩の作者は奈良少年刑務所の受刑者です。
少年刑務所は、更生及び教育に重点が置かれている少年院とは違い、刑罰を科す施設です。主に17歳から25歳までの、強盗、殺人、性犯罪、放火、覚せい剤など重い罪を犯した人たちが収容されています。
2007年6月に、明治時代制定の監獄法が改正されて「刑事施設及び被収容者等の処遇に関する法律」が施行されました。「受刑者等の人権を尊重しつつ、その者の状況に応じた適切な処遇を行うことを目的とする」ものです。これまでも教育や職業訓練など受刑者が社会復帰するための取り組みは行われていましたが、それが一層求められることになりました。
これを受けて奈良少年刑務所では、これまでの取り組みでは処遇の対象とはならなかった人たちを対象とした「社会性涵養プログラム」を2007年に立ち上げることになりました。その講師として、ちょっとした縁から小説家であり童話作家でもある奈良在住の寮美千子(2005年泉鏡花文学賞受賞)さんに白羽の矢が立ちました。このプログラムの軌跡は「あふれでたのはやさしさだった 奈良少年刑務所絵本と詩の教室」に綴られています。そこには目頭が熱くなる場面がいくつも書かれています。一部を紹介したいと思います。
「簡単な作業も上手にできず、みんなともうまくやっていけず、孤立しがちで、コミュニケーションに困難を抱えている子たちを対象とした授業です。これははじめての試みで日本の刑務所のどこもやっていません。」
と、プログラムの責任者、細水令子教育統括から説明を受けました。
「彼らは虐待や育児放棄、ドメスティックバイオレンスの目撃はもとより、筆舌に尽くしがたい、言葉にするのも憚れるような大変な思いをしてきています。加害者になる前はほとんどが被害者でした。背景が一つもないのに、悪いことをしてここにやってきたという子を私は一人もみたことがありません。」
「彼らに共通しているのは、『正しい愛情』を受けたことがないということです。自分を否定され続けているので自己肯定感が育たず、自尊感情も育ちません。自分を大切にできない人に、他人を大切にすることはできません。だから犯罪も可能になるのだと思います。」
「犯罪者を支援することに批判もありますが、きちんと再教育をして社会に戻してあげた方が、結局、社会的にみたコストも削減できます。これをしないと、再犯をして新たな被害者がでる可能性もあります。」
「彼らの心を童話や絵本や詩を使って耕して欲しいのです。」
細水統括は受刑者を「子」と呼び、自分の子供のように彼らの行く末を案じ、幸せになって欲しい、二度と罪を犯して欲しくないという思いがひしひしと寮さんに伝わってきたと言います。その心にうたれて、ご主人の松永洋介氏とともにプログラムに協力することになりました。
最初の受講生は8名でした。授業にはサポート役の教官が毎回付き添っていました。怯えて教官にしがみつかんばかりの子、ふんぞり返っている子、落ち着きがなく独り言を言っている子、表情がなく目だけがぼんやりと宙を泳いでいる子、知的な遅れがありそうで幼さを漂わせた子、下を向いたきり顔を上げず真っ暗な子など、いわゆるまともな子たちはいませんでした。どうなるのか不安を抱えての手探り状態でのスタートでした。ところが、寮さんをはじめ誰もが思いもしなかった奇跡が起こるのです。
最初に童話や絵本、詩を使って授業を行ったところ、それなりに効果はみられました。しかし彼ら自身が詩を書き、それを自らが朗読し、皆で感想を述べあう授業の効果は驚くべきものでした。
「くも」の詩を書いたA君にその詩を読むように求めたところ、彼は下を向いたまま読みました。しかし、早口で呂律も回ってないため聞き取ることができませんでした。薬物中毒の後遺症と父親に金属バットで頭を殴られた傷跡のせいかもしれません。
「ごめんね、向かいのお友達に、よーく聞こえるように、顔を上げてゆーっくり読んでみてちょうだい。」
A君はようやく顔を上げ、やっと聞き取れるような声を出して
「空が・・・青いから・・・白を・・・えらんだのですっ」
息を詰めるように聞いていた仲間たちがほっとして一斉に拍手を送りました。寮さんも教官も皆うれしくて拍手しました。すると、うつむいていつもはほとんど話をしない彼が手を挙げて話したいことがあるというのです。つっかえながら
「ぼくのお母さんは今年で七回忌です。お母さんは体が弱かったです。お父さんはいつもお母さんを殴っていました。僕は小さかったからお母さんを守ってあげられませんでした。お母さんは亡くなる前に病院でこう言ってくれました。『つらくなったら空を見てね。私はそこにいるから』。お母さんを想って、お母さんの気持ちになって、この詩を書きました。」
A君のこの言葉が受講生たちの心の扉を開きました。
「ぼくは、A君は、この詩を書いただけで親孝行したと思います。」
「A君のお母さんは、きっと雲みたいに真っ白で清らかな人なんだろうと思いました。」
「僕もです!A君のお母さんは、きっと雲みたいにふわふわで優しい人なんじゃないかなあと思いました。」
「もう、どいつもこいつも、なんて優しいのだろう。そんな素敵な想像力を持っているのに何故君たちは罪をおかしてしまったの。」と寮さんは心の中で叫んだと言います。
続いて、いつもは背を丸め縮こまってうつむいたまま暗い顔しているB君が手をあげ、
「僕は、お母さんを知りません。でもこの詩を読んで、僕も空を見上げたらお母さんに会えるような気がしてきました。」
声を絞り出すように言ったあと泣き崩れてしまいました。教室の皆が口々に彼を慰めました。
「そうだったんだ」「さみしかったね」「がんばってきたんだね」「ぼくもお母さんいないんだよ」
皆の声を背にB君は泣き続けました。
この日を境にB君は劇的に変わりました。それまでは自傷行為が絶えなかったのに、ぴたりと止まりました。母親のいない寂しさを告白でき、それを皆に受け止めてもらった経験が、彼の心を癒したに違いありません。
このプログラムは奈良少年刑務所が2017年3月に閉庁となるまでの10年間続きました。授業は月1回、半年間で終了です。そして新しいメンバーと入れ替わります。10年間で186名が受講しました。この授業を続けていくと受講生たちの様子がみるみる変わって行き、変化しなかった人は誰一人としていなかったと言います。そこには、あるがままを受けとめてくれる仲間がいました。鎧を脱ぎすて心の扉をあけるとやさしさが溢れ出ました。人は皆やさしく生まれてくるのだと思います。
献血はやさしさが溢れる行為です。血液センターにいますと献血者のやさしさに感動する毎日です。これからもやさしさの溢れる社会であってほしいと願います。
平成31年4月
参考図書
空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集 寮美千子・編
世界はもっと美しくなる 奈良少年刑務所詩集 詩・受刑者 編・寮美千子
あふれでたのはやさしさだった 奈良少年刑務所絵本と詩の教室 寮美千子