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所長ごあいさつ

所長ごあいさつ(令和元年9月)

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 今年の8月15日は休みをとり阿波踊りに参加する予定でしたが、台風10号の接近で中止になり一日中家で過ごすことになりました。全国戦没者追悼式がテレビで中継されていましたので、一緒に黙祷を捧げました。そして、遺族代表の追悼の辞に胸が熱くなりました。二度と戦争はしてはならないと、改めて思いました。

 芙蓉咲き今朝の供華とす終戦日 (及川貞)

 「主文、被告は損害賠償を支払え」。6月28日、多数の支援者が詰めかけた熊本地裁の法廷内に、裁判長の声が響き渡りました。国を被告とするハンセン病家族訴訟の判決文です。国は、ハンセン病患者・元患者自身の強制隔離、終生隔離、断種堕胎の被害ついて、2001年に責任を認めて謝罪しています。今回は、医学的根拠のない隔離政策が原因で、家族も偏見と差別を受けた社会構造により被害が生まれたことを認定し、家族に損害賠償を支払うことを命じたものです。7月9日、国は控訴しないことを決め、判決が確定しました。原告や支援者がこの日が来るのをどれだけ待ち望んでいたか、想像に難くありません。

 大学を卒業して間もない頃、診断がついていない1人の患者さんが入院してきました。翌日ハンセン病であることが判明し、ハンセン病療養所に転院しました。「らい予防法」(1996年廃止)でハンセン病患者の入所(隔離のため)が定められていたとは言え、当時ハンセン病の原因菌「らい菌」は感染力が非常に弱いことが知られており、1960年にはすでに治療法は確立していました。私は担当医ではありませんでしたが、これ以外に方法がなかったのか、40年余り前のことが心に刺さった棘として残っています。

 北條民雄の「いのちの初夜」を再度読んでみました。ハンセン病と診断された主人公の療養所での最初の一日を描いた小説です。彼は現実を受け入れることができず、夜自殺を図りますが失敗します。死ぬことができず、また生きていく覚悟もできないのです。しかし、最初の夜が明け太陽の光が林間にさし込むのを目にして、ここで生きてみようと考えます。それは、一般社会での生ではなくハンセン病患者としての生です。想像を絶する葛藤の末に至った結論です。これは民雄自身の葛藤でもあったに違いありません。彼はこれで、第2回文学界賞を受賞しています。

 北條民雄は1914年京城(現ソウル)で生まれ、現在の徳島県阿南市で育ちました。15歳で上京し、18歳で結婚しています。しかし、19歳でハンセン病を発症し破婚となり、20歳で全生病院(現国立療養所多摩全生園)に入院しました。その頃から川端康成に師事し、本格的な執筆活動を始めています。「いのちの初夜」は、当初「最初の一夜」というタイトルでしたが、川端康成により改められたようです。23歳で腸結核のため亡くなりました。

 今年、3年に1度の「瀬戸内国際芸術祭」が瀬戸内海の島々で行われています。ハンセン病の国立療養所大島青松園がある大島も会場の1つです。残念ながら、偏見や差別はまだまだ解消されていません。9月28日から始まる秋の会期に合わせてこの島を訪れ、ハンセン病患者、元患者、家族の苦しみに思いを致そうと思っています。私たち一人ひとりがハンセン病を正しく理解することが求められています。

 私たちには、他の動物にはない「想像する力」があります。ハンセン病患者、家族が味わった苦しみや絶望感を想像することができます(完全ではないにしても)。そしてその人たちを思いやることもできます。

 今、輸血を必要とする人たちがたくさんいます。

 その人たちがどんな思いで輸血を待っているかを想像してください。

 その人たちのことを思いやってください。

 献血で助かる命があることを知ってください。

 皆様のご協力をお願いします。

令和元年9月

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