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所長ごあいさつ

所長ごあいさつ(令和2年4月)

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 4月、真新しい制服やスーツを身に着けた初々しい人たちに出会う季節です。新型コロナウイルス感染が心配ですが、新入生、新入社員の皆さんは夢と希望をもって元気に第一歩を踏み出して下さい。その姿に、私たちも元気になります。

 少年の瞳巨きく四月来る(渡邉友七)

 新型コロナウイルス感染の拡大は国民に不安を与えています。1960~1961年にも国民を不安にさせる感染症の流行がありました。ポリオ(小児マヒ)の大流行です。日本はこの時、多くの人たちの努力によってポリオ撲滅に成功しました。そこには政治の英断もありました。映画「われ一粒の麦なれど」(松山善三監督1964年)はポリオ制圧に情熱を燃やした男の物語です。私の記憶に間違いがなければ、当時中学生だった私は先生に引率されて町の映画館へ行き、クラスメイトとともにこの映画を観ています。この映画でポリオに罹る大半が小さな子供であることを知り、5~6歳だった妹のことが心配になりました。

 1960年北海道大夕張で始まったポリオの流行は大変なものだったそうです。トワ・エ・モアが歌った1972年札幌オリンピックのテーマ曲「虹と雪のバラード」の作詞者でもある河邨文一郎札幌医大教授(当時)は、当時の惨状を「私にはいまも生々しい」と約30年後に回想しています。北海道だけでなく、愛知県、石川県などでも多数の患者が出ました。そして、この夏の伝染病は雪が降る頃になってようやく勢いが衰えました。

 しかし、翌1961年には早くも春先から流行が始まりました。今度は九州を中心とした流行でした。NHKは4月中旬から毎日の定時ニュースで患者数を知らせる「小児マヒ情報」を流し始めました。患者数は日ごとに増えていきました。この報道は国民の危機意識を駆り立て、やがて国を動かすことになります。NHKがこのような前例のない報道をするにあたっては、当時社会部記者であった上田哲氏元参議院議員の類なき強い意志と情熱によるところが大きかったようです。彼は「われ一粒の麦なれど」のモデルです。

 国は、1961年1月からソーク博士が開発したアメリカ製ソークワクチン(不活化ワクチン)の接種を開始しましたが、希望者が多くワクチンは不足していました。さらに、ソークワクチンでは流行時に接種しても流行を阻止できないことが問題になっていました。一方、セービン博士が開発したソ連製のセービンワクチン(弱毒生ワクチン)は、流行時にも効果があることが知られていました。

 6月には、前年の同時期における北海道の患者数を上回る事態になりました。流行を抑えるにはセービンワクチンの投与が必要と考え、上田哲氏たちや母親たちはセービンワクチンの緊急輸入を強く政府に訴えました。しかし、この生ワクチンは国内未承認で国内での安全性が検査されておらず、生ワクチンに不安(弱毒化しているとは言え、生きたウイルスを接種するためポリオを発症する恐れ)をもつ学者もいて、専門家による「弱毒生ポリオワクチン研究協議会」(「生ワク協議会」)では結論が出ませんでした。

 事態を重視した古井喜美厚生大臣(当時)は政治決断によりセービンワクチン投与の方針を固め、生ワク協議会の緊急幹部会で「反対しない」との同意をとりつけました。「責任はすべて私にある」との大臣談話を発表し、ソ連などからセービンワクチンの緊急輸入を決定しました。当時は米ソ冷戦時代で、国交のないソ連からワクチンを輸入するに当たっては政治的な問題もあったようです。強いリーダーシップがなければ成し得なかったと思われます。

 7月21日、全国一斉の生ワクチン接種を開始しました。1カ月間に1,300万人の乳幼児・学童に接種を完了するという大作戦でした。結果は明らかで、8月に入るとポリオの患者は目に見えて減りました。NHKの「小児マヒ情報」は8月一杯でその役割を終えて終了しました。

 新型コロナウイルス感染も早く終息して欲しいものです。感染により多方面に影響がでています。献血もその一つです。血液が不足し輸血が必要な患者さんが困ることがないように、私ども血液センター職員は一丸となって努力してまいりますが、皆様のご協力が必要です。よろしくお願いいたします。

令和2年4月

参考文献

河邨文一郎:ポリオとはどんな病気か ―その脅威と制圧―、ロータリーの友 1988年7月p11-14

平山宗弘:ポリオ生ワクチン緊急導入の経緯とその後、小児感染免疫2007、Vol.19、189‐196

加藤茂孝:人類と感染症との闘い ―「得体の知れないものへの怯え」から「知れて安心」へ― 第5回「ポリオ」-ルーズベルトはポリオでなかった? モダンメディア2010、56巻3号、61‐68

上田哲:根絶(インターネット上で公開されている復刻版1988年、) 

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