来年の令和9年5月1日に、日本赤十字社は創立150周年を迎えます。
そこで島根県赤十字血液センターでは、創立150周年のメモリアルイヤーに向けて記念コラムを5回に分け1年を通して日本での赤十字の成り立ち、島根県での血液事業の変遷についてご紹介します。
【国際赤十字の誕生】
1859年スイスの実業家アンリー・デュナンは、イタリア統一戦争の激戦地ソルフェリーノで悲惨なありさまを目の当たりにしました。デュナンは放置されていた負傷者の救護活動にあたりました。
「傷ついた兵士はもはや兵士ではない、人間である。人間同士としてその尊い生命は救われなければならない」
スイスのジュネーブに戻ったデュナンは、国際的な救護団体の必要性を訴えました。この訴えはヨーロッパ各国で大きな反響を呼び、1864年にはジュネーブ条約が調印され、国際赤十字組織が誕生しました。

Battle of Solferino, June 24, 1859
(出典:Google Arts & Culture)


【日本の赤十字社誕生】
佐賀藩士の佐野 常民(さの つねたみ)は藩命により、パリ万博(1867年)に参加しました。
万博の赤十字パビリオンで、国際条約に基づいて「敵味方の区別なく戦時の傷病者を救護する」赤十字の志と活動に感銘を受けました。
また、ヨーロッパ諸国に赤十字が広がっていることを知り、このような人道的国際組織の存在こそ、文明進歩のあかしと考えました。
1877年に西南戦争が起きると、元老院議官の佐野 常民と大給 恒(おぎゅう ゆずる)は、明治政府に『博愛社』設立の願書を提出します。
しかしながら、時期尚早などの理由で、設立不許可になります。
そこで佐野は、熊本に向かい、官軍の征討総督・有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう)に博愛社の設立を願い出て、同年5月に設立を許可されました。そして設立後直ちに、熊本と長崎に医師らを派遣し、救護活動を行いました。
1886年に日本政府のジュネーブ条約加入を受け、翌1887年に社名を『日本赤十字社』に改称。同年9月には赤十字国際委員会から承認を得て、国際赤十字の一員に加わりました。
このようにして、『日本赤十字社』は日本で産声をあげました。(ちなみに初代社長は佐野常民です。)


パリ万博赤十字パビリオン"L'Exposition universelle de 1867 : illustrée"
【日本赤十字社初の災害救護活動】
・磐梯山噴火災害
日本赤十字社創設の約1年後の1888年7月、福島県の磐梯山が噴火し、岩なだれや土石流などがふもとまで押し寄せ、死傷者は500人以上に上りました。
日赤は医師らを派遣し、延べ105人の負傷者を手当てなどの救護活動を行いました。
平時の災害救護活動は当時、各国でもほとんど行われていなかったことから、先駆的な例として国際的な注目を集めました。そもそも、日本を含め世界の赤十字の救護活動は、戦地における傷病者の手当て(戦時救護)を目的としており、自然災害に対する規定はありませんでした。しかし、昭憲皇太后(当時の皇后陛下)の思(おぼ)し召しにより、初めて戦争以外の救護活動が実現したのです。
※その他の日赤の救護活動や歴史などの詳細を知りたい方はこちらから確認いただけます!
【次回のコラムのご紹介】
次回のコラム予告ですが、島根県における赤十字活動のはじまりや災害・戦争などに地域住民と協力して苦しんでいる人々に寄り添い共に歩んだ100年以上歴史など島根の暮らしに根付いた赤十字についてご紹介します。
【出典】
・Google Arts & Culture



