
前回のコラムでは、日本赤十字社の原点についてご紹介しました。
今回はその歩みをさらに一歩進め、島根県における赤十字活動のはじまりと、地域の皆さまとともに歩んできた歴史についてご紹介します。
【島根における赤十字活動のはじまり】
日本赤十字社の前身である博愛社は、明治10年(1877年)に設立され、明治20年(1887年)に「日本赤十字社」と名称を改めました。
その同じ年、日本赤十字社が生まれたわずか5か月後に島根では全国に先駆けて、当時の籠手田安定(こてだ やすさだ)初代島根県知事の見識と、県民の情熱によって、「島根赤十字社」が創設されたのです。これは、他の都道府県支部が日本赤十字社の地方組織として設置されたのとは異なり、全国で唯一、独自に赤十字社として誕生したという他に例のない、島根ならではの歴史です。
翌明治21年(1888年)には、改めて日本赤十字社の地方組織である「日本赤十字社島根支部」(現・日本赤十字社島根県支部)として発足し、以来130年以上にわたり、島根の地で活動を続けてきました。

籠手田安定
(出典:日本赤十字社島根県支部百年史)
【戦争・災害など、地域の危機と向き合ってきた歴史】
島根における赤十字の歩みは、常に地域の危機とともにありました。
戦時には傷病者への看護や医療支援を行い、災害時には被災された方々の救護や支援活動を行うなど、時代の要請に応じた役割を担ってきました。
明治38年(1905年)の日露戦争における日本海海戦では、被弾したロシアの輸送船「イルティッシュ号」が島根県江津市和木町の海岸に漂着しました。言葉も通じない中、地元の漁村の人々は敵味方の区別なく負傷したロシア兵を懸命に救助し、日赤島根県支部から派遣された医師や看護婦とともに手当てにあたりました。「傷ついた兵士はもはや兵士ではない、人間である」。第1回でご紹介したこの赤十字の原点ともいえる精神、そしてジュネーブ条約が掲げる「敵味方なく傷病者を救護する」という理念が、島根の地においても確かに根づいていたことを物語るエピソードです。現在も和木町では、この救助の歴史を語り継ぐ「ロシア祭り」が毎年行われており、先人たちの人道の精神は120年経った今も受け継がれています。

和木に漂着した大型ボート
(出典:語り継ぐ過去から未来へ友好の輪)

イルティッシュ号の乗組員(幹部)
(出典:語り継ぐ過去から未来へ友好の輪)
昭和58年(1983年)7月には島根県西部を時間雨量90ミリという桁外れの集中豪雨が襲い、山崩れや洪水が相次いで発生し、死者・行方不明者112人に上りました。島根県支部は被災地の西部に近い山口県支部をはじめとした各県赤十字や本社と連携し、組織力を生かした迅速な対応で救護活動を行い、益田赤十字病院の患者への食糧支援や被災者への医療支援、毛布・日用品セット・非常食などの救援物資を配布しました。

昭和58年7月豪雨による益田市内の浸水状況
(出典:国土交通省「日本の川 - 高津川」)
【地域住民に支えられてきた赤十字】
赤十字の活動は、決して組織だけで成り立つものではありません。
昭和58年(1983年)7月豪雨での活動において、裏で救護班や物資輸送を支えたのは地域の民間ボランティアでした。とりわけ、全国各地から送られてきた膨大な見舞いの品の仕分け作業は、彼らの力なくしては到底成し得ないものでした。夏休みを返上して汗を流す教員や学生の姿もありました。

全国各地から寄せられてきた義援品の仕分けに懸命のボランティアたち
(出典:日本赤十字社島根県支部百年史)
また、今日の献血においても私たち赤十字は地域の皆さまに支えられています。献血は、一人ひとりの善意が直接「いのちを救う力」となる活動です。顔も名前も知らない誰かが差し出したその血液が、いのちをつないでいる。この見えないつながりこそが、島根の赤十字を支え続けてきた力です。
赤十字は「どこか遠い組織」ではなく、島根の暮らしのすぐそばに、いつもあります。
【次回のコラムのご紹介】
次回は、「血液事業のはじまり」に焦点を当て、日本における輸血や献血の歴史についてご紹介します。ぜひご覧ください。
【出典】
・日本赤十字社島根県支部百年史
・島根県支部について|日本赤十字社 島根県支部
・語り継ぐ過去から未来へ友好の輪(和木地域コミュニティ交流センター)
※Microsoft社の生成AIであるMicrosoft 365 Copilotを部分的に使用して本資料を作成しました



