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所長コラム

所長コラム(令和4年10月)

安請け合いとトラウマ(後編)

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今回は、先月の続きです。トラウマの話から始めさせていただきます。

現在、新型コロナウイルスが大きな問題となっていますが、今を遡る30年程前には、エイズを引き起こすウイルスであるHIVが大きな問題となっていました。最初は原因不明の免疫が低下する病気として海外で報告され、原因がウイルスであることが突きとめられ、しかし、治療方法がないままに、全世界とともに日本国内でも広がりつつありました。

新型コロナウイルスと似ている経過です。しかし大きく異なることは、HIVは血液を介する感染ということです。いわゆる性感染症の一つであり、治療法がない状況において広がりを防ぐためには知識の普及と人々の活動を律することが重要ということで、当時、HIVにも少し関与していた私に、"ある市主催の成人式"での講演の依頼がかかりました。

高名な演者はスライドなしで講演されることもありますが、私などはどうしてもスライドを用いての講演となります。この成人式で私が使ったスライドは、ブルーの背景に文字が白字のいわゆるブルースライドといわれるものです。今よく使われるパワーポイント® などと違ってスライドの輝度が乏しいので、ライトを落とした会場でスクリーンに投影して、『HIVウイルス発見の歴史』、『ウイルスの特徴とそれが起こす病気』、というような順に話を進めました。

最初は静かな会場でしたが、暗がりの中、徐々にあちこちでささやき声が聞こえるようになりました。『感染経路』を話している頃には、ささやきは会場全体に広がり、さらに『感染を起こさないために必要なこと』という、一番重要なところでは、客席で交わされる会話は暗やみから怒涛のようにステージ上の私を襲ってくるまでなっていました。

冷静に考えれば、ある意味これは必然であったかも知れません。成人式と言えば、高校卒業後に久しぶりに会う同窓会な訳で、それも、男性は、真新しいスーツを着て、女性は、この日のために準備した晴れ着で集まっていたのです。これから大人の世界に踏み出すぞ、と張り切っている若者たちに、私は『律しなさい』、『控えなさい』と、水を差すような言葉をひたすら繰り返していたわけで、その声は虚しく怒涛の中にかき消されて行きました。

後で聞いたところ、この年は全国あちこちの成人式で同じような講演が企画されていました。しかし1,2年後には殆ど行われなくなくなったようです。きっと私と同じようなトラウマを抱えた講演者が発生していたのではと推察します。

この講演に着ていった緑色の新品のスーツは、その後ずっとハンガーにかかっていましたが、肩に綿埃が目立つようになり、引っ越しの際に処分しました。二度と腕が通されることはありませんでした。あのスーツには申し訳ないことをしました。

さて、私はこの10月、数回の血液事業、献血などの講演を行いました。医療職に向けた講演は、実践経験があるので受け取ってもらえたと信じますが、課題は、実感の乏しい若者、学生さんたちに向けての話、いわゆる献血セミナーの結果です。この献血セミナー、厚労省が若者に向けた実施を推奨しており、我々も行っていますが、実施したという自己満足だけではなんともなりません。受けた若者が、納得して、さらには献血会場に足を運んで、初めて『届いた』と言えます。

今のところ献血ルームのスタッフから『所長の話を聞いて献血に来ました』、という若者がいたという話は聞きません。しかし、私が少しだけトラウマを克服できたかもと思うことは、少なくとも講演で着ていたスーツを今日も着ているということです。

もう一つ、大学の先生からは、来年もお願いしますとご依頼いただきました。

決して安請け合いではなく、ただし1年後ならまあ大丈夫かと思いつつ、責任を持って受けさせていただきました。

(写真)センターの周りを歩くとすっかり秋でした。コセンダングサがひっつき虫を蓄えていました。

                                                岐阜県赤十字血液センター 所長 髙橋 健

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