【 岐阜県赤十字血液センターの 「還暦」】
岐阜県赤十字血液センターは1965年1月13日に開設されました。
2025年1月に60周年を迎えました。人で言えば「還暦」です。
古い記録によると、岐阜県赤十字血液センターは今とは別の場所で、日本赤十字社岐阜県支部の間借りでスタートしました。2枚の写真は当時のものです(*1)。
その頃は200mlをガラス瓶に貯める献血。まだ肝炎ウイルスが発見されていなかった時代で、輸血後肝炎の発症率は約30%と報告されています。単純計算では3本の輸血を受けるとほぼ肝炎になる状況です。医師も患者も覚悟を持って輸血が行われたのではないかと推測します。
それから60年、今、病院のドクターで、血液のバッグを見て危険なものと思うドクターはほとんどおられないのではと推測します(*2)。
今、病院にとっては、血液は高度医療において、あって当たり前のもの、頼めば届くものとなっています。そして我々岐阜県赤十字血液センターも、この医療インフラを維持するため慌ただしく日々活動しています。
さて、これからご紹介するのは、スタッフから聞いたセンター開設20年目ころの供給の話です。
ある夜に、高山の病院から岐阜の血液センターの当直者に血液の発注がありました。今は高山にセンターの供給出張所がありますが当時はありません。ただし、高山にも血液の備蓄施設はあったようですが、備蓄分では足りなかったのか、緊急の供給依頼です。現在は高山まで東海北陸自動車道で2時間ですが、高速のなかった当時、3時間以上かかりました。当直スタッフは供給車に血液を積み込み、夜の国道41号線を北へ走ること約2時間、温泉で知られる下呂の先のドライブイン(*3)に着きました。そこには高山から下ってきていた患者さんのご家族が待っていました。ドライブイン駐車場でご家族に血液を託し、ご家族により高山の病院の患者さんに届けられました。
血液製剤の移送過程すべてにセンターが責任を持つ今の基準では絶対にダメな供給です。しかし、体制が整っていない時代、そのような方法も取られていました。私には、その夜の駐車場でのご家族と赤十字のスタッフが交わした会話と笑顔、そして胸に秘めた使命感が思い描かれます。
さて、血液センターの「還暦」に際しての思いです。
60年を経て血液製剤は安全になりました。この円熟はとても重要です。しかし、献血をいただき、患者さんに届ける思いは、もしかしたら、血液センターが生まれた頃、また、血液センターが未熟だった頃の方が一生懸命だったかも知れない。
「還暦」を期に、センターが若かったころの気持ちを思い起こし、改めて胸に秘めて進みたいと考えます。
妄想上の計画では、センターのメンバーを一堂に集めて一席ぶちかます(失礼)つもりでしたが、妄想している間に静かに1月13日は過ぎていました。
せめてこの気持ちを忘れないように、そっとコラムに上げさせていただきます。
岐阜県赤十字血液センター所長 髙橋 健
*1:献血20年のあゆみ 昭和61年3月発刊 岐阜県赤十字血液センター
*2:しかし少ないながら現在も血液製剤、輸血には様々なリスクを伴います。赤十字ではそのリスクをさらに減らすべく改善に努めています。
*3:ドライブインは、今の道の駅に似た施設です。ドライブインは民間事業者による施設、道の駅は市町村長からの申請によって国土交通省により登録される公的な施設の違いがあるようです。昭和の頃はあちこちにドライブインがありました。