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血液事業のあゆみ

半世紀以上の歴史と取り組み

1952年(昭和27年)

日本赤十字社「血液銀行東京業務所」が開設。血液銀行がスタートしました。

1955年(昭和30年)

この年度までに全国37カ所に赤十字血液銀行を設置。しかし、民間商業血液銀行による買血がさかんになり、献血者が減少しました。

1962年(昭和37年)

買血による輸血から発生した輸血後肝炎が社会問題となり、血液事業正常化への第一歩ともいうべき「黄色い血」追放キャンペーンが始まりました。

※売血常習者の血液は、たび重なる売血行為により、血球部分が少なく黄色い血漿部分が目立ち、「黄色い血」と呼ばれました。この血液は、輸血しても効果がないばかりか、輸血後肝炎などの副作用を起こしがちで、このため売血が大きな社会問題となったのです。

1964年(昭和39年)

政府は閣議において、輸血用血液は献血により確保するとの決議を採択しました。

  • 閣議決定「献血の推進について」(昭和39年8月21日)政府は、血液事業の現状にかんがみ、可及的速やかに保存血液を献血により確保する体制を確立するため、国及び地方公共団体による献血思想の普及と献血の組織化を図るとともに、日本赤十字社または地方公共団体による献血受入れ体制の整備を推進するものとする。

1969年(昭和44年)

民間商業血液銀行は、買血による輸血用血液の供給を中止しました。

1972年(昭和47年)

輸血後B型肝炎の予防のため、全献血血液についてB型肝炎ウイルス(HBs)の抗原検査を開始しました。

1974年(昭和49年)

民間商業血液銀行が預血制度を廃止したことにより、献血100%体制が確立しました。

1980年(昭和55年)

成分献血療法の全国的普及にともない、各種成分に分けられた輸血用血液の必要性が飛躍的に増加。全体の70%以上を占めるようになりました。

1982年(昭和57年)

献血された方の健康管理に役立てていただくために、生化学検査結果の通知を開始しました。また、献血手帳の供給欄が削除され「血液無償の原則」に基づく純粋な献血制度へ転換されました。

1983年(昭和58年)

北海道千歳市に血漿分画製剤の本格的な製造施設である日本赤十字社血漿分画センターが設立され、アルブミン製剤、免疫グロブリン製剤の製造が開始されました。

1986年(昭和61年)

従来の200mL献血に加え、より安全性が高く、血液のより有効な利用が可能な成分献血、400mL献血を導入しました。また、輸血による感染が問題となっているエイズウイルスやヒトリンパ球向性ウイルス-I型抗体検査を開始しました。

1989年(平成元年)

血液事業の公益化などを検討していた厚生省の「新血液事業推進検討委員会」が第一次報告を国へ提出しました。輸血後肝炎のほとんどを占めるとされるC型肝炎について、検査法が確立したことから世界に先駆け全献血血液に対し検査(HCV抗体検査)を開始しました。B型肝炎のための検査も、従来のHBs抗原検査に加えてHBc抗体検査を開始しました。

1990年(平成2年)

血漿分画製剤を製造するために一部民間製薬会社が行っていた有償採漿についても中止され、国内の輸血用血液の供給と血漿分画製剤の製造を目的とする採血は、日本赤十字社のみが行うこととなりました。

1991年(平成3年)

献血者の安全性を充分確認し、より多くの国民の善意が活かされるよう血圧、体重、血液比重及び採血量等を始めとする採血基準が一部変更されました。

血漿分画センター内に製造施設を併設し、アルブミン製剤、免疫グロブリン製剤に加えて、血液凝固第VIII因子製剤の製造を開始しました。

1992年(平成4年)

国民の献血による血液凝固第VIII因子製剤の供給を開始しました。

1993年(平成5年)

「自己血輸血協力要綱」を作成し、医療機関の要請に応じた自己血輸血に対する協力を開始しました。

1994年(平成6年)

エイズウイルスのためのHIV-2抗体検査を開始しました。

1995年(平成7年)

新たな献血功労表彰制度の運用が開始され、献血者顕彰規程を新たに設けました。安全性をより高めるため全国的に問診の変更を図りました。

1998年(平成10年)

GVHD(移植片対宿主病)を予防する輸血用血液の放射線照射については、1994年より医療機関の要請に対して照射協力を行っていましたが、放射線照射輸血用血液が国に認可され供給を開始しました。

1999年(平成11年)

平成10年7月の中央薬事審議会血液製剤特別部会における検討の結果、九州地区を皮切りに全国でHTLV-I(ヒトTリンパ球向性ウイルス-I型)に対する抗体検査の異常を認めた場合、通知を希望される方にお知らせすることになりました。

世界最高水準である現行の抗原抗体検査に加え、一層の安全性向上を目指し、世界に先んじてNAT(核酸増幅検査)をエイズウイルス(HIV)、B型、C型肝炎ウイルスに対して開始しました。

深刻化する少子高齢社会に備え、献血可能年齢の上限を64歳から69歳に引き上げました。

2002年(平成14年)

日本赤十字社法制定50周年・日本赤十字社創立125周年記念全国赤十字大会を開催。明治神宮会館に天皇・皇后両陛下ご臨席。

血液新法(安全な血液製剤の安定供給の確保等に関する法律)が成立。日本の血液事業に法律による根拠が与えられる。

全ての血液製剤を、国内の献血による国内自給を基本理念とした「安全な血液製剤の安定供給の確保等に関する法律」(新血液法)と、薬事法の一部を改正した法案が7月25日に成立し公布された。初めて、血液事業が法的根拠に基づいた事業としてスタートする。また8月には、有料での採血等を禁止する部分と、その罰則にかかる部分が施行された。

日本の血液事業が、日本赤十字社中央血液センター(日本赤十字社血液銀行東京事業所)の開設から50周年を迎えた。

2003年(平成15年)

7月30日に「安全な血液製剤の安定供給の確保等に関する法律」(新血液法)が施行された。

2004年(平成16年)

血液事業の安全対策の充実強化に向けて、血液事業に関する権限の責任を明確にするとともにあらゆる事態に機動的に対応できる組織体制を構築するため、10月1日に血液事業本部を設置。

血小板製剤の保存前白血球除去開始。

2005年(平成17年)

血液製剤による変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)の伝播の防止に最大限努めつつ、一方で、vCJD対策の献血制限が国民の医療に支障を来さないよう国とも連携し、献血の推進等を図ることを目的とし、社長を本部長とする献血推進本部を設置。

2006年(平成18年)

10月1日から献血カードを全国で導入。

血小板製剤の初流血除去開始。

2007年(平成19年)

全血由来製剤の保存前白血球除去、初流血除去開始。

11月14日供給の血小板製剤より、有効期間を「採血後72時間以内」から「採血後4日間」に延長。

2008年(平成20年)

日本赤十字社九州血液センターを新たに開設。
今後の血液事業は、より安全性の高い血液製剤と安定した供給を求められていることから、新しい高度な検査機器を導入して、平成20年1月より九州・沖縄8県の献血血液の検査業務を開始し、平成20年3月からは、九州7県で献血された血液を各県の枠組みを超えて九州血液センターに集め、血液製剤を製造。

12月から九州血液センター(福岡県久留米市)でNATを開始。

2009年(平成21年)

3月14日から糖尿病関連の検査(グリコアルブミン検査)を開始。

2010年(平成22年)

変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)対策の献血制限を、1月27日より緩和。

12月28日から200mL全血献血者の方にも、血球計数検査結果の通知を開始。

2011年(平成23年)

4月1日から、男性に限り400mL全血献血が可能な方の年齢の下限を18歳から17歳に引き下げるなど、採血基準が一部改正された。

複数回献血クラブ会員の会員特典として、新たな複数回献血クラブ会員専用の献血カードを導入。

2012年(平成24年)

4月1日から、広域事業運営体制を開始。

10月1日から日本赤十字社と田辺三菱製薬株式会社が持つ血漿分画事業を統合して設立した、一般社団法人日本血液製剤機構が事業を開始。

2013年(平成25年)

9月3日から成分採血由来の新鮮凍結血漿の容量を450mLから480mLに変更。3つの製剤規格の容量を整数倍へ(120mL、240mL、480mL)。

2014年(平成26年)

更なる安全性向上のため、8月1日より、献血者1人分の血液ごとにNATを行う「個別NAT」を全国8カ所の検査施設で実施。

2016年(平成28年)

8月22日からシャーガス病に対する安全対策として、献血時の問診で中南米滞在歴等があると申告された献血者の血液についてT.cruzi抗体検査を導入。

2017年(平成29年)

4月1日から血小板成分献血の採血量の上限を600mLに変更。

2018年(平成30年)

4月1日から採血不適者の要件である総採血量及び総回数の算定期間を「過去1年間」から「過去52週間」に改めた。

2020年(令和2年)

8月5日採血分から、輸血用血液の安全性向上のため、全国一斉にE型肝炎検査(HEV NAT検査)を導入。

9月1日から採血基準が一部改正され、血圧、脈拍、体温が新たに定められた。