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LOVE in Letter

【体験談】骨髄バンクドナー 小林洋大さん

2回の骨髄提供を経験の中での葛藤、身内の反対、提供後思い等を語っていただきました
広報誌「BANK!BANK!_Vol.04」

骨髄を2回提供しました!

職場のビルで行われていた献血の会場で骨髄ドナー登録をした小林洋大(こばやしようた)さん。登録から5年後に届いた「骨髄を必要としている人からの知らせ」。その時は提供までは至らなかったけれども、その後2回の骨髄提供をしました。
その時の葛藤、父の反対と提供後に感じた思いを 広報誌「BANK!BANK!_Vol.04」(PDF:3.8MB)で語っていただきました。

簡単な血液採取で助けになれるならと登録

25歳くらいのとき、当時勤めていた職場のビルで行われていた献血の会場で骨髄バンクのボランティアの方に「骨髄バンクってご存知ですか?」と声をかけられたのがきっかけです。
献血のための採血と同時に骨髄バンクの登録用の血液も採血できて、簡単に登録できるということだったので、「少しでも血液難病に苦しんでいる患者さんの助けになれるなら」と、迷わずドナー登録をしました。
最初に「自分の骨髄を必要としている人がいる」というお知らせが届いたのは、登録から5年後でした。
それまでは「自分の白血球の型はそんなに適合しないのかな」と思っていました。
ある日、届いたオレンジ色の封筒を開けると、「骨髄バンクの登録患者さんとあなたのHLAの型が一致しました」と書いてありました。
そこまで読んで「あのときの登録だ」と気付き、そのときに初めて「やった!」とうれしい気持ちが湧いてきました。
このときは提供の直前で中止になりましたが、3年後に、再び「オレンジ封筒」が届きました。
そのときはすぐに「またきたな」と思ったのですが、自分が仕事等で悩んでいた頃で、「今の自分にできるのかな」という思いもありました。
それでもやはり「誰かの役に立ちたい」という気持ちが勝っていたので、提供に向けてコーディネートを開始しました。
健康診断の結果は問題なく、いよいよ家族の同意も含めた最終同意面談に至りました。
ところが、同意の署名をするはずの父が突然の反対。・・・

患者さんに骨髄を提供するための最終同意面談で父が突然の反対

前回中止になったときも最終同意面談を経験していたので、今回も同意すると思っていた私は「何を言い出すんだ」と驚きました。
コーディネーター・担当医はリスクも含めてわかりやすく説明してくださったので、私も父も十分に理解したからこそ、父は私の状況を見て反対したのだと思います。
「それでも誰かの役に立ちたいのだ」という自分の気持ちを、事前に伝えて十分話し合っておくべきだったと反省しました。
そこから、面談を1回保留にして、医学的に問題ないことを確かめ、両親ともきちんと話し合って、理解してもらいました。
全員納得のうえで、数日後に再度、最終同意面談の席をつくって同意、1回目の提供がついに実現しました。
初めての入院、全身麻酔でしたが「役に立てる」という気持ちで、不安はかき消されてしまいました。
個人差があるそうですが、苦痛というほどの痛みも自分は感じませんでした。

縁を持つことは患者さんもドナーも対等

骨髄の提供を終えたときは、役に立てたことがうれしい気持ちと、患者さんによくなってほしいという気持ち、そして、患者さんへの感謝の気持ちが強くわいてきました。
たまたま白血球の型という何万分の1の確率で合う細い糸が私と患者さんを繋げてくれた、その縁をいただけたことに対する感謝の気持ちです。
たぶん、縁を持つということは患者さんもドナーも対等だと思うんです。
子どもの頃から健康だった私は、大きな病気をして自分の人生と向き合うとか、命の大切さを考えることは、本などで見聞きしたレベルでしかわかりませんでした。
それが提供を待つ間には、会社を休んで健康診断や自己血採取のために通院する間も、3泊4日の入院をして全身麻酔の手術をする間も、ずっと集中して患者さんのことを考え、生まれて初めて「大きな病気をするとはどういうことか」を真剣に考えました。
それは改めて自分に向き合うきっかけにもなりました。
そういう時間をいただけたのは、やはり提供という機会があったからこそなんです。
命の大切さ、尊さを実感できた、そのことへの感謝も湧いてきました。
本当にいい体験でした。

患者さんに伝えたいのは「ありがとうございました」「元気になってほしい」、この2つだけ

今年の2月にまた、骨髄バンクからオレンジ色の封筒(=自分の骨髄を必要としている人がいる」というお知らせ)が届きました。
今回は2回目の提供ということで、スムーズに移植が実現しました。
このときも1回目の提供と同じように、たとえば仕事の帰り道、電車でふと「患者さんはどうしてるんだろう、自分の骨髄を待ちわびているんだろうな」と、思い出したりしていました。
事あるごとに患者さんを思うことで、自分自身と向き合う時間をいただけたこと、2人目の患者さんとつながれたことへの感謝の気持ちでいっぱいになりました。
ただ、1人目の患者さんにはお手紙を差し上げたのですが、今は手紙が逆に負担になったら嫌だなという気持ちも出てきました。
患者さんに伝えたいのは「ありがとうございました」「元気になってほしい」、この2つだけなので。
こうして2回、骨髄提供をした今だから言えるのかもしれませんが、私はたまたま献血会場でボランティアの方と出会っただけのことで、特別なことではないと思います。
でも、その「たまたま」の出会いを通して、自分の人生に深みを実感するようになったんです。
うれしい気持ち、感謝の気持ちもそうですが、患者さんへの思いを深く考えて、命の重さを実感してからは、日々の些細なことに悩まなくなりました。
そういう意味で、移植は患者さんのためだけでなく、自分にとってもかけがえのない、大きな財産になると思います。
もし私と同じように何か人の役に立ちたいと思っている人がいたら、ぜひ行動にうつしてもらえたらと思います。
それは患者さんのためというだけでなく、自分のためでもあるんです。
現状では骨髄提供は2回までという決まりがあるのでもうできませんが、役に立てるものならまた提供したいという思いは変わりません。
献血は69歳まで続けられるので、今後は献血で誰かの役に立ち続けたいと思っています。

いま、あなたにできること