神奈川県赤十字血液センターに届いた「ありがとうの声」
私は健康だった20代、そして次男を産むまでの30代に幾度か献血をしていました。
きっかけはその頃は若かった夫(その時の彼氏)です。夫は何十回か百回以上?献血をしています。
私が30代後半の時、隣人からの嫌がらせが酷く、裁判をするほどの耐え難い精神的被害を受けました。
それからうつ病が始まり、不眠・不安などで薬も増えていき献血ができない体になりました。
しかし、うつ病が治って薬を使わなくなれば、いつかまた献血して誰かを助けたい!そんな気持ちでいました。
ところが、40才になる寸前にお腹が急に膨らみ数日間我慢しました。そのうち下血。
たまたま、カウンセリングをした後で精神科病院内にいましたので、たくさんの先生に判断してもらい総合病院へ救急搬送。胞状奇胎でした。
掻爬を2度してもhcgという数値が下がらなく、メーター振り切る数値。
今度は大学病院へ自宅から腹痛を我慢し運転していきました。すぐ手術になり胞状奇胎から侵入奇胎に変わりました。
子宮が食い破られお腹の中で出血していたのです。
麻酔がかかり、子宮を取るが卵巣にも転移してるから摘出していいか?肺にも転移しているよ。という質問を手術中に麻酔をゆるめられ聞きました。
私は悪いところは全部取ってくださいと言った瞬間に、右のほうに輸血が見えました。
全血と成分。そしてまた麻酔が効き骨盤内の付属物も子宮も卵巣も摘出する手術が続きました。
手術が終わってすぐに目が覚め、看護師さんに輸血は何本使ったのですか?と聞くと、合計6本。私の出血量が3リットル前後だったそうです。
その瞬間に私は、献血して大切な輸血をくださった6人の知らない方々に心の中で感謝したら、涙が止まりませんでした。
私なんかのために6本の輸血を使わせて頂きごめんなさい。どこのどなたかわからないけどありがとうございます。
それと同時に、もう私は献血できない体になり申し訳無い気持ちでいっぱいになりました。
輸血の全血や成分を頂いた方々皆さんに感謝の言葉を伝えたいのですが、不可能で残念です。
術後は抗がん剤を数時間うって車を運転して帰宅の繰り返し。
苦しみましたがおかげさまで生きています。
そろそろ卒業という時に、hcgの値が微妙に上がり、7年経った今も病院に通っています。
命を助けてくださりありがとう。