山梨県赤十字血液センターに届いた「ありがとうの声」
私が献血を始めたのは、平成23年の秋頃のことです。ちょうど東日本大震災があった年です。世間では3.11が震災発生日として記憶に強く残っている事だと思いますが、我が家ではそれ以上の衝撃が3.01に起こりました。20年間たいせつに育てて来た娘が「白血病」と診断された日です。正確には「急性リンパ性白血病」と言う事でした。ひと昔前なら、必ず命を落とす病気でした。私たち夫婦も、そんな覚悟を迫られるのかと生きた心地のしない日々を過ごしていました。幸いにも、その病気の治療では日本で1番詳しい先生がいる病院に転院することができて、わずかな希望の光が見えたのを覚えています。それから7ヶ月、大勢の方の懸命の治療と応援、何より本人の治るんだと言う強い意志のおかげで、辛く苦しい治療を乗り越えて無事に退院の日を迎えた時は、私たち夫婦は手を取り合ってお互いの協力と娘の生命力に感謝しました。その治療の過程で、沢山の方から尊い献血、特に成分献血を頂きました。治療中は当たり前のように受けていた輸血も、調べてみれば尊い善意の物である事を知り、本来ならば娘自信が恩返しをしたい気持ちでいっぱいなはずなのに、1度輸血を受けると、献血は出来なくなる事を知った私は、それなら代わりに私が献血しようと考えたのです。以来、2年半になりますが、2週間ごとに甲府献血ルームに伺っています。途中貧血になり、献血できない時もありましたが、たまたま親切で優秀なドクターとの出会いから、治療して頂き貧血を改善することが出来ました。おかげさまで、最近では2週間ごとに献血できております。
一方、テレビ局アナウンサーを目指していた娘は、入院に伴う大学の休学や、退院後の自宅療養からいよいよ復学する時に、大変お世話になった大学職員の方々の仕事に興味を持ち、これからは自分がそういう困っている学生の手助けをしたいと「大学職員」をめざし、厳しい選考試験にチャレンジして、暖かい職場に迎え入れて頂きました。本当に、偏見と差別の多い世の中で、全て了承の上で健常な学生と同等に扱って下さった大学には感謝の念が絶えません。
たまたま今日は娘の定期検査の日でした。先ほど、異常無しの報告を受けて安心しているところです。これからも健康と平和に感謝しながら、娘が完治するまで、そして完治してからも献血に伺いたいと思っています。