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日本の血液事業のあゆみ

1952年(昭和27年)

日本赤十字社血液銀行東京業務所が開設され、血液事業がスタートする。

 

 

1955年(昭和30年)

民間商業血液銀行による売血が盛んになり、献血者が激減。

 

 

1960年(昭和35年)

「血液事業に対する正しい理解や認識の普及と献血者・預血者並びに献血予約者の確保」を目標に厚生省との共催により全国的規模の第1回「赤十字愛の献血運動」を展開した。

 

 

1961年(昭和36年)

日本赤十字社輸血研究所に日赤移動採血車第1号が配備され、同年9月1日から運行を開始した。

現在の全国学生献血推進実行委員会の前身となる「日本赤十字社献血学生連盟」が、買血の追放等を目指すことを考え結成された。

 

 

1962年(昭和37年)

「黄色い血」追放キャンペーンが起き、血液事業改善への第一歩がはじまる。

※売血常習者の血液は、たび重なる売血行為により、血球部分が少なく黄色い血漿部分が目立ち、「黄色い血」と呼ばれた。この血液は、輸血しても効果がないばかりか、輸血後肝炎などの副作用を起こしがちで、このため売血が大きな社会問題となった。

 

 

1964年(昭和39年)

ライシャワー駐日米国大使が暴漢に襲われ重傷を負い手術を受けた際、輸血の副作用によって血清肝炎を発症するに至り、これが買血による血液であったころから大きな社会的反響を呼び起こすこととなった。

政府は、輸血用血液は献血により確保する体制を確立するよう閣議で決定。

 

 

1969年(昭和44年)

民間商業血液銀行は、買血による輸血用血液の供給を中止。

 

 

1974年(昭和49年)

民間商業血液銀行が預血制度を廃止したことにより、献血100%の体制が確立。

 

 

1975年(昭和50年)

日本民間放送連盟主催による「第1回はたちの献血」ラジオキャンペーン開始。

 

 

1980年(昭和55年)

成分輸血療法が全国的に普及したことにより、各種成分に分けられた輸血用血液が全供給本数の70%以上となり、飛躍的な増加を示した。

 

 

1982年(昭和57年)

献血者の方全員に対する生化学検査の通知を開始。献血手帳の供給欄が削除され「血液無償の原則」に基づく純粋な献血制度に転換。

 

 

1983年(昭和58年)

北海道千歳市に血漿分画製剤の本格的な製造施設である日本赤十字社血漿分画センターを設立し、製造を開始。

 

 

1986年(昭和61年)

400mL献血、成分献血が導入される。輸血による感染が問題となっているエイズウイルスやHTLV-1抗体検査を開始。

400mL献血及び成分献血の献血者に対して血球計数検査の通知サービスを追加。

 

 

1989年(平成元年)

輸血後肝炎のほとんどを占めるとされるC型肝炎について、検査法が確立したことから、世界に先んじて全献血血液に対し検査(HCV抗体検査)を開始。B型肝炎のための検査も、従来のHBs抗原検査に加えてHBc抗体検査を開始。

 

 

1990年(平成2年)

民間製薬会社による国内での有償採漿を中止。

 

 

1991年(平成3年)

献血者の安全性を十分確認し、より多くの国民の善意が生かされるよう、国により献血の基準が変更される。

 

 

1992年(平成4年)

献血による血液凝固第Ⅷ因子製剤の供給を開始。

 

 

1993年(平成5年)

「自己血輸血協力要綱」を作成し、医療機関の要請に応じた自己血輸血に対する協力を開始。

 

 

1994年(平成6年)

エイズウイルスのためのHIV-2の抗体検査を開始。

 

 

1995年(平成7年)

新たな献血功労制度の運用を開始。さらに、積極的かつ継続的な献血協力に対する謝意を表すものとして、献血者顕彰規程を新たに設ける。また、全国的に問診票を変更するとともに、問診の充実を図った。

 

 

1998年(平成10年)

GVHD(移植片対宿主病)を予防する輸血用血液の放射線照射については、1994年より医療機関の要請に対して照射協力を行っていたが、放射線照射輸血用血液が国に認可され供給を開始。

 

 

1999年(平成11年)

1998年7月の中央薬事審議会血液製剤特別部会における検討の結果、HTLV-1抗体検査の結果、異常を認めた場合に希望される方への通知を開始。世界最高水準である抗原抗体検査に加え、一層の安全性向上を目指し、世界に先んじて核酸増幅検査(NAT)をB型肝炎ウイルス、C型肝炎ウイルス、エイズウイルス(HIV)に対して開始。

深刻化する少子高齢社会に備え、平成11年4月1日から献血可能年齢の基準を64歳から69歳に改定。

 

 

2000年(平成12年)

輸血用血液製剤及び血漿分画製剤の安全性を確保することを目的とした、核酸増幅検査(NAT)に加え、更に血漿分画製剤用原料血漿の貯留管及び献血検体の保管を行う最先端技術を整備した、血液管理センターが京都府福知山市に竣工。

 

 

2001年(平成13年)

全国的に効率的な血液事業を行なうため日本赤十字社中央血液センターは、東京都内の事業の一体化・集約化により採血・検査・製剤・供給の業務を、東京都赤十字血液センターに移管する。

 

 

2002年(平成14年)

全ての血液製剤を、国内の献血による国内自給を基本理念とした「安全な血液製剤の安定供給の確保等に関する法律」(新血液法)と、薬事法の一部を改正した法案が7月25日に成立し公布された。初めて、血液事業が法的根拠に基づいた事業としてスタートする。また8月には、有料での採血等を禁止する部分と、その罰則にかかる部分が施行された。

 

 

2003年(平成15年)

ウエストナイル熱等の輸入感染症対策のため、帰国後3週間献血禁止となる。

7月30日に「安全な血液製剤の安定供給の確保等に関する法律」(新血液法)が施行された。

 

 

2004年(平成16年)

血液事業の安全対策の充実強化に向けて、血液事業に関する権限と責任を明確にするとともに、あらゆる事態に機動的に対応できる組織体制を構築するため、10月1日に血液事業本部を設置。10月1日から、検査目的の献血防止対策の一環として、献血時に身分証明書等を提示いただく「本人確認」を開始。10月から血小板製剤の保存前白血球除去開始。

 

 

2005年(平成17年)

血液製剤による「変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)」の伝播の防止に最大限努めつつ、一方で、vCJD対策の献血制限が国民の医療に支障を来さないよう国とも連携し、献血の推進等を図ることを目的とし、社長を本部長とする献血推進本部を設置。

「変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)」の症例について、新たな安全性に関する情報が得られるまでの当分の間、昭和55年(1980年)から平成8年(1996年)の間に1日(1泊)以上の英国滞在歴を有する方等からの献血を見合わせる。

 

 

2006年(平成18年)

10月1日から献血カードを全国で導入。

10月から血小板製剤の初流血除去開始。

献血によって皮下出血や神経損傷などの健康被害(採血副作用)が生じ、医療機関を受診した献血者に対して、一定額を補償する献血者健康被害救済制度がスタート。

複数回の献血者を確保し需給体制を構築することを目的として、各血液センターに複数回献血クラブを設置・運営することとし、クラブ会員を対象に電子メール等による情報提供や健康相談事業実施を開始。

 

 

2007年(平成19年)

1月から全血由来製剤の保存前白血球除去、初流血除去開始。

11月14日供給の血小板製剤より、有功期間を「採血後72時間以内」から「採血後4日間」に延長。

 

 

2008年(平成20年)

日本赤十字社九州血液センターを新たに開設。

今後の血液事業は、より安全性の高い血液製剤と安定した供給を求められていることから、新しい高度な検査機器を導入して、平成20年3月からは、九州7県で献血された血液を各県の枠組みを超えて九州血液センターに集め、血液製剤を製造。

12月から九州血液センター(福岡県久留米市)でNATを開始。

 

 

2009年(平成21年)

3月14日から糖尿病関連の検査(グリコアルブミン検査)を開始。

 

 

2010年(平成22年)

変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)対策の献血制限は、輸血用血液製剤の安全性や安定供給等に及ぼす影響を検討した結果、昭和55年(1980年)から平成8年(1996年)の間の英国滞在歴が通算30日までの方の献血を可能として、1月27日より緩和した。

12月28日から200mL全血献血者の方にも、血球計数検査結果の通知を開始。

 

 

2011年(平成23年)

4月1日から採血基準が一部改正され、男性に限り、400mL全血献血が可能な方の年齢の下限を18歳から17歳に引き下げるとともに、男性に限り血小板成分献血が可能な方の年齢の上限を54歳から69歳に引き上げた。

また、問診票の質問事項を、14項目から23項目に改訂した。

複数回献血クラブ会員の会員特典として、新たな複数回献血クラブ会員専用の献血カードを導入。

 

 

2012年(平成24年)

4月より、広域事業運営体制を開始。