
叶井 美保 さん
「寒いです......」
その年の正月は、記録的な大雪でした。
予定日通りに陣痛が来ましたが、高齢で初産だったこともあり、とても時間がかかりました。
自然分娩で生まれたものの、息子は途中で胎便(たいべん)を飲み込んでしまい、状態がよくないため、すぐに救急車で大きな病院へと運ばれることになりました。
私自身も胎盤がうまく排出されず、出血が続いて追うように同じ病院へ搬送されることに。
大雪で救急車が出払う中、搬送先の病院から救急車を回していただきました。
その時の記憶はぼんやりとしかありませんが、「寒いです」と何度も言っていたことだけは覚えています。相当な出血量だったのだと思います。
「棺桶に片足を突っ込んでいたんだよ」
翌朝、目が覚めたときに担当の先生からそう言われました。
大量の輸血を受けるとともに胎盤を処置していただき、私はなんとか一命を取り留めました。
本当に、あの時の輸血がなければ、今の私はこの世に存在していませんし、我が子を育てることもできませんでした。
おかげで毎日、息子に「うれしいね、今日も朝がきたよ」と語りかけながら子育てをすることができました。
数々の奇跡が重なったこと、そして多くの方々の温かい献血のおかげで、私は今こうして生きることができています。心から、感謝しています。ありがとうございます。
ーもう、献血はできないけれど。
輸血を受けた人は、献血をすることができません。
振り返れば、私と献血には深い縁がありました。
初めての献血は高校生のとき。その時は血液の比重が足りず、献血できなかったことも懐かしい思い出です。
大学生の頃は、友人たちとよく献血ルームへ通いました。のんびり漫画を読みながら過ごせたり、成分分析をしてもらえたりと、嬉しいことがたくさんありました。友人は「肩こりまで治る気がする」なんて言っていたものです。
当時は献血の記録といえば「献血手帳」で、スタンプが溜まって記念品をもらうのが楽しみでした。手帳は3冊以上になり、のちに献血カードへ切り替わりましたが、当時の手帳は大切な思い出として今も手元に残しています。
現在、私は高校で教員をしています。
いま、医療の道を志す生徒たちと一緒に、献血や血液センターの役割を学ぶ機会に恵まれ、献血を呼びかける活動に取り組んでいます。
これも、何か不思議な巡り合わせなのかもしれません。
命を救ってもらった私にできる形で、これからも献血の大切さを伝え、協力していきたいと思っています。









