


阪本 遼太 さん
【命を繋ぐ】
2024年5月、私たちは人生で一番悔しく、悲しい経験をしました。
そして2025年1月、これまでにない幸せと感動、感謝の気持ちを味わいました。
そのすべてを、私は一生忘れません。
ある日、当時4歳だった娘の体に、赤くて小さな斑点のようなものを見つけました。
「アトピーかな?それとも汗疹かな?」と、軽い気持ちで妻が保育園の帰りに小児科へ連れて行きました。
診察をした先生が少し表情を曇らせながら、
「念のため、血液検査をしましょう」と言い、検査が始まりました。数分後――
「血液の数値が良くありません。大きな病院で精密検査を受けてください」
そう伝えられ、その日のうちに医療センターに入院することになりました。
夜になり、不安に押しつぶされそうな私は、
「血液の病気」「赤い斑点」「小児」「微熱」などのキーワードを検索してしまいました。
そこに表示された言葉――「小児癌」「白血病」。
頭が真っ白になりました。
「まさか、そんなはずはない」
そう祈るしかできませんでした。
翌日、医療センターでの精密検査の結果、
医師から「白血病の可能性が高い」と伝えられました。
「なんで?」「どうすればいい?」
言葉にできない悔しさと不安が心を支配しました。
そんな中、娘は不安そうな顔で
「私、大丈夫かな?」と私たちを見つめてきました。
その瞬間、私は決意しました。
「親だろ。娘を不安にさせるな。泣くな。笑え。前を向け。」
病気と向き合い、家族で一緒に戦うことを心に決めました。
娘の闘病生活が始まりました。
毎日のように輸血を受ける日々。
輸血パックには、血液型のほかに"熊本""福岡"など、
提供された地域の名前が書かれていました。
「今日は熊本だね」「昨日は福岡だったよ」
そんな会話を娘と交わしたことを今でも覚えています。
会ったこともない誰かが、命を繋いでくれている。
そのことが、どれだけありがたく、尊いことか。
直接、感謝の気持ちを伝えたいくらいです。
娘は抗がん剤治療、そして臍帯血移植を経て、
8ヶ月間の入院生活を終え、退院しました。
今は定期的な通院と検査をしながら、
元気に保育園に通い、運動会の練習に励んでいます。
園庭を走るその姿に、胸が熱くなります。
今、娘がここに元気にいられるのは、
献血に協力してくださった皆さんが「命を繋いでくれた」おかげです。
私自身もこれから、できる限り献血に参加して、命を繋ぐ側になりたいと思っています。
それが、私たち家族にとっての「恩返し」です。
献血は、他人事ではありません。
あなたの血が、命を救うのです。
ありがとうの気持ちを、命につなごう。








